中塚國彦

スタイリスト中塚國彦(くにさん)

生誕 1988年[昭和63年]
出身 柳川市
趣味 読書/街歩き/山登り/城巡り/地図眺め/ブラタモリ
好きな漫画 ONE PIECE/キングダム/スラムダンク
得意なヘアスタイル ツーブロスタイル/ベリーショート

以前は理美容の仕事をしたくありませんでした…。

やりたいことも見つからず、無気力な僕が親の勧めでいやいや始めたのが今の仕事です。
“立ち寝”の能力に長けていた僕でしたが、ある勤務中に膝を持っていかれ、蒸し器に突っ込みお店をクビになりました。
苦しくて、貧しくて、カッコ悪い日々が長く続きました。
とてもじゃないが将来に希望など見出せない。
かといって腐っていても何も変わりません。このうだつの上がらない日々を終わらせたい…。
行き詰まり立ち寄った書店で一冊の本を手に取りました。
その本には、”正しい努力”の方向性が記してありました。
相変わらず将来の展望は何も見えなかったのですが、とりあえず目の前のやるべきことを一生懸命やってみようと奮起し、美容専門学校のゴミ捨て場から収集したマネキンウィッグをカットしまくるところからが再スタートでした。

当理容室はメンズヘアスタイルに特化したサロンです。

改めまして、ヘアサロンBARBER PLACE店主の中塚國彦(くにさん)と申します。
当店はメンズカットを得意としたサロンです。
高い満足度を追求するために、完全予約、一対一の施術を基本方針としています。
美容ならではの柔らかい丸みのあるシルエットと、理容ならではのカットラインを合わせ持つ、メリハリの効いたスタイルを得意としています。
これからもより高いクオリティを追求し、前進してまいりますのでぜひご期待ください。

仕事を通して成し遂げたいこと

さて、始めはいいかげんだった僕ですが、コツコツと励むうちにこの仕事の面白さに気づき始めます。
すると、今までは業界のネガティブ要素だと認識していたことが、逆にチャンスのように思えてきたのです。そして少しずつですが、努力は報われていきます。そのころにはもう、仕事を通して成し遂げたいことが自分の使命として浮かび上がっていたのです。

僕はこれまで、たくさんの人に迷惑をかけてきました。失望させてきたし、傷つけてきたし、裏切ってきました。
後悔もしているし、やり直したいこともたくさんあります。
でもまだ終わったわけじゃないんです。
前に進まなくてはいけない。
これからもきっと、たくさんの人々に出会います。
理容という仕事を通して人々の笑顔や幸福に貢献していきたいと思っています。

宮田ヒュウ

スタイリスト宮田ヒュウ

生誕 1998年[平成10年]
出身 佐賀県鹿島市
趣味 音楽鑑賞/アニメ/カラオケ/スノボ

公務員でした

学生時代から、将来は公務員になることを視野に勉学やスポーツに励んできました。
本当は情報産業やパソコン、あるいは建築の道も興味があったんですが、志望校が軒並み評定以下だったので、公務員に就職し易い高校になびいてしまいました。
でも公務員になることは親も望んでいましたし、その期待に応えたい気持ちも強かったので、結果的には市役所に就職しました。
市役所の仕事はそれなりに充実していましたし、地域の皆さんのお役に立てている実感もありました。
でもそこは公務を全うする組織。個人の活躍やあるいは自己実現を追求する場としては少し物足りたくて、正直悶々としていました。
何か環境を変えたい…そんな折、バーバープレイスの店主との出会いがありました。
お客としてお店に通っていたんですが、「理容師にならないか?」と誘われたんですね。笑

真心を込めて施術いたします

改めまして、ヘアサロンBARBER PLACE店員の宮田ヒュウと申します。
メンズスタイルを追求している店主の「完コピ」を追求しています!笑
ツーブロックやショートスタイルが得意です。
また、肩が痛い店主に変わって気合の入ったヘッドスパを提供致しておりますので、是非ご体感ください。
理容の技術追求に終わりはありません。これからも日々研鑽とサービスの向上に努めて参りますのでご期待ください。

一流の理容師に

理容師になる…考えたことも無かった職種だったのですが、環境を変えるきっかけを探していた僕としては、タイミングがどんぴしゃだったので、思わずなっちゃいました。理容師に。笑
嬉しかったのは、親が応援してくれたことです。
息子が公務員を辞めて髪切り屋さんになると言い出したときの親の絶望感は僕にも理解できます。笑
心配のあまり小言を言われることもありますが、一番応援してくれているのもまた、親であるということを知っています。
誰の人生も道半ば。一流の理容師になって、「この道を選んで良かったね」。
そう言ってもらえる未来を全力で迎えに行きます。